都会の24時間を守るキュービクルの日本電機産業

会社沿革

創業者・出水善吉により発足

昭和17年

株式会社へと組織変更

昭和21年

旧堺工場
旧堺工場

プラネタリウム操作盤
プラネタリウム操作盤

「推奨制度」の規格制定

昭和33年

電気事業法改正

昭和40年

キュービクル式高圧受電設備」
が制定

昭和43年

昭和40年代堺工場
昭和40年代堺工場

第一次オイルショック

昭和49年

消防庁告示第7号「キュービクル式非常電源専用受電設備の基準」通達

昭和50年

第一次認定品を取得

昭和51年

業界初の「コーナー置き形キュービクル」を発売

昭和52年

コーナー型
コーナー型

昭和60年代堺工場
昭和60年代堺工場

業界最薄の奥行き75cmの
屋外形「キュービコム」を発売

平成5年

創業以来、主として制御装置、各種配電盤、操作盤、自動遠隔装置などの製造・販売に従事。
この間、当社が独自に開発した製品群は、さまざまなフィールドで活躍しています。例えば昭和39年開通時に東海道新幹線のタイヤ研削装置をはじめ、基礎工事における電気固結法、醤油の電気醸造法、バイソン印アレスター(避雷器)、大阪市立科学館のプラネタリウム用制御盤、連続鋼板自動剪断装置、タワークレーン用安全装置など。
どのような難題にも独創のアイデアで果敢に取り組み、お客様にご満足いただくとともに、当社だけのテクノロジーとノウハウを着実に培ってきました。

当社が「キュービクル」開発に取り組み始めたのは、ビルやマンションなどの工事現場を当時の出水良政社長が見たのがきっかけでした。当時、建設会社は工事が始まるたびに、現場において変電設備を組み立てていました。組み立てには2~3週間かかる上、建築工事が完了すれば、不要になります。「時間と金をムダに使っている」と考えた社長は、「持ち運びができる変電設備はできないものか」と開発に乗り出しました。

当時の工事現場
当時の工事現場

試行錯誤の上に完成した当社第一号の「キュービクル」は、従来の変電設備に比べて容積が約10分の1。
価格も2分の1と、大幅な省エネ・省コストを実現しました。
さらに感電などの事故の心配がなく、操作も簡単な変電設備ができました。

いち早く取り組んでいたおかげで、昭和33年の「推奨制度」の規格制定と同時に、関東・関西・中部・九州など各地の推奨を取得することができました。

電気事業法改正で、50kW以上の電力を使う場合は高圧で受電することが義務づけられ、「キュービクル」は各分野から注目されるように。
この頃から当社でも本格的に「キュービクル」の販売をスタートしています。

(社)日本電気協会全国推奨制度においても、当社製品はいち早く認定を受けました。

昭和40年代には、テレビやラジオでもPRを展開。
「おいら、くるくる、キュービクル」というテンポの良いCMソング(伊藤アキラ作詞/小林亜星作曲)やマスコットの九官鳥を使ったCMによって「キュービクルの日本電機産業」の名は全国に広まりました。

マスコット(九官鳥)
マスコット(九官鳥)

当初は「小さ過ぎて使い勝手が悪い」との声もありましたが、第一次オイルショックを受け、省エネ・省コストが叫ばれるとともに、いっきに表舞台へと躍り出ました。

1次認定品
1次認定品

業界初の「コーナー置き形キュービクル」に続き、「ドライ78」「省エネ80Q」などを次々に発表。
使用電力が一目でわかる「kVAアンメータ」、力率改善を促す「カラー力率計」を搭載した「キュービクル」も人気を博しました。

kVAアンメータ・カラー力率計
kVAアンメータ カラー力率計

常に業界をリードしてきた当社の「キュービクル」には、既に業界のスタンダードになったものも多々あります。
現在流通している300kVA以下の「キュービクル」の大半は、当社の製品がモデルになっていると言っても過言ではないでしょう。

今や社会になくてはならない「キュービクル」進化の歴史は、
当社発展の軌跡と言えるかも知れません。

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